天文学
 宇宙地図を作る
 星と星雲
 銀河とクエーサー
 宇宙の大規模国「
 膨張宇宙
 現代の宇宙論

晴れた月のない夜に空を見ると, 肉眼で約2千個の星が見えます. これらの星は, 紀元前2世紀に生きたギリシアの天文学者ヒッパルコスが見た星と ほとんど同じです. ヒッパルコスは初めて空の体系的な地図を作り, 星のカタログ を作りました. 彼はまた, 春分点の歳差運動を最初に発見した人でもあります. ヒッパルコスは, 彼のデータとバビロニア人による古いデータを使って, もし毎年 春の最初の日に星を見たとすると, 全ての星が1年前より僅かにずれて見えることを 発見しました. このことから彼は, 1年の長さを7分以内の精度で計算したのです. まず最初に星のカタログを作らなかったら, ヒッパルコスはこのような深遠な発見をすることはできなかったでしょう. 今日私たちは, ヒッパルコスの偉大な発見は地球の自転軸のふらつきによるものであ ることを知っています. しかしながらヒッパルコスは, それが星が動いたわけで はなく, 動かない恒星に対する地軸の傾きが, 一年を通じて少し変化する のであることは理解できませんでした.


チコ・ブラーエの天文台

70年間に約1度という星のこの僅かな動き以外に遠い昔の天文学者が関心を示した ものは主に惑星すなわち「さまよえる星」の動きでした. 引き続く1700年間の観測 と分析によって, 天文学者は惑星の動きの予測精度を次第に高めることができ ました. しかし, 現代の科学的天文学の幕開けの基礎となるに十分なほどの精度 を持つ次の偉大な体系的な観測が行われるには, 16世紀のチコ・ブラーエ を待たなければなりませんでした. チコ・ブラーエと彼の助手は, 大きな六分儀 に相当する器具を使った肉眼での観測により, 数十年間にわたって惑星の運動を 精密かつ系統的に観測しました. この偉大なデータの集積を使って, ヨハネス・ケプラーは, 惑星は太陽の周りを楕円軌道を描いて回転していること を導き出したのです. ケプラーは, 地球が太陽系の中心にあるという信仰を永遠 に葬り去りました. ケプラーの仕事は, 人類最高の科学的業績のひとつです.

ケプラーの時代から1920年代まで, 天文学者にとって, 宇宙はほとんどが私たち の銀河系内にある星々から成っていました. 正体の分からないもやもやした 星雲状の天体もいくつかありました. 多くの天文学者は, これらの天体は星々 の間に散在していると信じていました. 後になって, これらの天体のほとんど は実際には地球から何億光年も離れた距離にある独立した銀河であることがわ かりました. 初期の望遠鏡ではこれら遠い銀河の中にある個々の星を分解でき ず, それらは空の上で小さなもやもやにしか見えなかったのです.

アメリカのカリフォルニア州にあるウィルソン山に100インチ望遠鏡が建設され たのはほんの80年ばかり前のことに過ぎませんが, それによって私たちの地球 が宇宙の中に占める位置について全く新しい描像が明らかになりました. 当時としては巨大なこの望遠鏡を使って天文学者は, 私たちの銀河系は宇宙を構成 する数千億個の銀河の一つにすぎないことを発見したのです. この発見に続い てすぐさま, 宇宙に対する人類の理解にもう一段大きな飛躍がもたらされるのに 10年とはかかりませんでした. 宇宙は無数の銀河から構成されているばかりで なく, 膨張をしていて時間と共に進化していることがわかったのです.


私たちの銀河系はいろんな点で
この銀河に似ている(SDSS).

地球が宇宙の中心であるという信仰から始まって, 太陽の周りを宇宙全体が 回転するという考えを経て, 太陽は銀河系を構成する1千億個の星の一つに過ぎない ことの認識へと, 人類の知識は長い旅をしてきました. ルネッサンス時代の 偉大な地球探検者達のように, 20世紀の天文学者はかつてないほ ど遠い宇宙の探検に乗り出しました. そうして宇宙はかつて想像されたよりも 遙かに大きいことを見いだしたのです. 昔の地球探検家達は, 地の果てには 龍やさまざまな怪物がいると想像していましたが, 実際には見たものは新大陸 であり, 大海であり, 人々でした. 天文学者は宇宙を旅するにつれて, ほとん ど筆舌に尽くしがたいような天体や現象を無数に発見しました. 銀河の中心に 潜むブラックホール, 巨大な山を角砂糖の一つにしたほどの高い密度を持つ 中性子星, 衝突する銀河, 爆発する星, そしてクエーサーなどなどです. クエー サーは銀河系の1000倍もの強度で光る宇宙の灯台であり, その光は100億年の間宇宙 を旅して今私たちに届き, 銀河の誕生劇の一幕を見せているのかも知れません.

そして昔のヨーロッパの探検家達の後をすぐに植物学者, 地理学者, 地質学者, さらに測量士などが続いて新しい世界を体系的に探検したように, 現代の 天文学者は20世紀の天文学の探検家に続いて, 自ら計画した 完全かつ体系的な宇宙の探検に乗り出しています.

10年前頃までは, 天文学者は技術的な限界のために, 比較的少数の天体の観測 しか行えませんでした. 観測対象には普通でない奇妙な天体が選ばれることが 多かったのです. このような観測を通じて天文学者は, 出来るだけ色々な天体現象を 観測し分類し, その実態をとらえようとしました. 彼らはまた, 非常に大規模 なスケールで見たときの宇宙の性質を精密に測定するには, どのような観測に よってどのようなデータを取得することが必要かと言うことも調べ始めていま した. 簡単で単純と考えられた多くの測定も実際に行うのは非常に難しいこと がわかってきました. 宇宙の膨張率(ハッブル定数), 宇宙の密度及びその曲率, 銀河の空間分布, 宇宙にある物質の種類と性質などは特に測定が難しい ことが判明しました. 困難の理由はすぐにわかりました. たとえて言えば, 地球上の海洋の研究をしているのに, 実際に見ているのは北大西洋のごく一部 でしかなかったのです.

宇宙の性質を理解するためにまさに必要なのは, 空の広い領域をカバーする 大規模な体系的なサーベイ観測です. 宇宙の代表的なサンプルを作るためには, また時間と共に宇宙がどのように進化したかを測るためには, このサーベイは 少なくとも数10億光年まで宇宙を観測できる必要があります. 宇宙は広大なので, 遠方の天体を観測すると過去の姿が見えます. その天体から今私たちに届く光は, ずっと昔にその天体を発したからです. 幸運にも1990年代に, このような サーベイが可能になるほど天文観測技術が大きく進歩しました. その夢 が現在, スローン・ディジタル・スカイ・サーベイ(SDSS)として実現されつつ あるのです.

宇宙の地図作りとは?

宇宙の地図を作ると言うことは天文学者にとって何を意味するのでしょうか? スローン・ディジタル・スカイ・サーベイ(SDSS)にとっては, 全天の4分の1の 領域で, 専用の望遠鏡で適切に観測できる1億個の天体を全て同定し, その位置と性質を測定することです. そのためにはまず最初に, 望遠鏡に カメラをつけてこの領域全体の写真を撮らなければなりません. この観測から, ほとんど全ての天体が, 星, 銀河, クエーサーなど良く知られた タイプに分類されます. それら天体の位置はきわめて精密に測られます. これで 空のどこを見ればどの天体があるかがわかるので, ある意味では宇宙の地図が 出来たことになります. しかし天文学者は, 完全な3次元の描像を得るために, これらの天体の距離を測定することにも関心があるのです.

これは特に, 宇宙の起源と構造を研究する宇宙論研究者にとっては強い関心が あります. 彼らは最大規模で見た宇宙の性質を理解するために, このサーベイで 検出される100万個以上の銀河の距離が必要なのです. そのためには, 検出され た天体の一つ一つを再び観測する必要があります. ただし, 今度はその銀河からの 光を望遠鏡に分光器を付けて観測します. 分光器は天体からの光を, プリズムなど を用いてそれぞれの色に分解する装置です. 宇宙は膨張しているので, 銀河から届く光はそれが膨張する宇宙を旅してきた間に波長が引き延ばされてい ます. この波長の延びは光の「赤方偏移」と呼ばれます. 一つ一つの銀河の光の 赤方偏移を測定することにより, 天文学者はそれらの銀河までの距離を決めること ができ, これら100万個以上の銀河を位置を示す完全な3次元の宇宙地図を作ること が出来るのです. スローン・ディジタル・スカイ・サーベイ(SDSS)で用いられている 進んだ技術は, 約600個の銀河の距離を1時間以内で測定することを可能にしました. このサーベイは5年間で100万個以上の銀河の距離を測定します.

銀河のスペクトルにはスペクトル線があり赤方偏移がわかる(SDSS).

膨張する宇宙

古代ギリシアの天文学者や哲学者にとって, 天上の世界は完全さを具体化した 世界と見なされていました. 地球は, 太陽, 月, それに惑星を保持する入れ子になった 一連の球殻の中心に静止していました. それ以外の天界, つまり恒星はさらに 一番外側にあるもう一つの球殻上にあり, その球殻の穴を通して輝く光の点と考 えられていました. 天体の運動を説明するために, 全ての球殻は回転していまし た. 天界はまさに神聖なもの, すなわち(意識の内面的世界に対する)外界であり, 静的で, 永遠で, 幾何学的に完璧なものでした.

1500年代に望遠鏡が発明されてガリレオが登場するまで, 天界は, 土, 空気, 火, 水からできているのではなく, クインテセンスと呼ばれた第五の元素 からできていると人々は信じていました. ガリレオやその他の人々が, 月に山が あるのを見たり木星に月があるのを見たりして, 天界は地球と関連しており, それを作っている物質は地球を作っている物質と違わないのではないかと 考えられるようになりました. そうして1600年代の初期に, アイザック・ニュートンが地球の周りの月の運動とリンゴの実の落下 は, ともに彼の重力(万有引力)の理論によって 説明できることを証明するや, 天界は地球と密接な関係を持つようになり, より大きな世界の一部と見なされるようになったのです.

しかしながら, 物事を深く考える思索家であったニュートンは, 彼の重力理論を 宇宙全体に適用したときに困難に陥りました. 彼が気づいた最初の問題は, もし 宇宙が無限に広がっているとしたら, 宇宙にある全ての物質の重力を無限に 足しあわせることになるということでした. このことはいくらか嫌悪感の あることでもあったし, 何と言っても数学的に扱いにくいことでした. 第二に, もっと重要なことには, 彼にとっては宇宙そのものであった空にある 星々は, 一様に分布していませんでした. 重力は常に引力として作用するので, 非一様性があると小さな塊ができ, 最終的に宇宙にある全ての物質は引き合って一 つの大きな塊になるはずでした. この問題を避けるためにニュートンは, 創造主は 星々をお互いに莫大な距離に置いて, 星々が自分達の重力によって互いに落ち てこないようにしたと考えました. もちろん, これはニュートン自身にとって もあまり満足できる答えではありませんでした. 宇宙はどうして自分自身の上に 重力崩壊しないのか. この問題は実は, 1916年に公にされたアルバート・アイン シュタインの一般相対性理論まで未解決だったのです.


アルバート・アインシュタインの相対性理論は
時間と空間 に対する私たちの
宇宙モデルの基礎である.

アインシュタインが重力理論を研究していたとき, 彼もこの問題について ニュートンと同じように悩んだのです. というのは, 彼の理論の最も単純な解 によると宇宙はやはり収縮して行くからでした. しかしながら彼は, 方程式に 一つの定数項を加えると, 見かけ上静止した宇宙になる解が得られることを 見いだしました. 端的に言えば, この定数はきわめて大きなスケールでは重力と 反対の作用をし, それと釣り合うものです. アインシュタインにとって不幸な ことには, ニュートンが認めたように, 宇宙の中で物質(ところでそれらはい ぜんとして恒星だけでしたが)は非一様に分布しているので収縮は避けられな いことがすぐに示されたのです.

この欠陥がわかったわずか数年後, アインシュタインの重力理論には, 静止宇宙ではなく膨張する宇宙を表す別の解があることがわかりました. それによると, 遠方の天体から地球に届く光は赤方偏移を示し, その偏移の 量はその銀河までの距離にほぼ比例します. そして1924年にカリフォルニア州 パサデナにあるカーネギー天文台のエドウィン・ハッブルが一連の観測を 行って, 遠い銀河から来る光は距離に比例した赤方偏移を受けていることを示 し, その解を実証したのです. この膨張速度と距離の比はハッブル定数と呼ば れました. こうして膨張宇宙の認識が確立し, 静止宇宙に関する種々の仮説は 科学史のゴミ箱に葬り去られたのです. 天文学者はこぞって宇宙の膨張率を 決めるための基本的な観測を行いました.

しかしながら, 自然はその秘密を簡単には明かさなかったのです. アラン・サンデイジの先駆的な研究とハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げにより, 宇宙の膨張率であるハッブル定数の確かな値についておおかたの合意が得られて きたのは, ほんのここ数年のことなのです.